「はい、 早くから申し訳ありませんが」
と言うきりで、 名を告げない。
「どなたでしょうか」
龍一は、 少し声を荒くして、 もういちど確かめる。
「はい、 川田ですが」
謹厳実直というのは、 この人のためにあることばだろう、 と誰しもが思うような川田だったが、 人と道で行き遭っても声を出して挨拶をしたことがなく、 静かに 目礼するだけで、 気弱に逃げ腰になって道を避けて通るような男だったから、 彼から言葉を引き出すには、 こちらが大きな声を出し、 積極的に物を言わなければ 埒が明かないだろう、 と龍一も思って、 戸を開けるとすぐ、
「どうしました川田さん、 なにがあったんですか」
と口早に問いかける。
「はい、 じつは」
そういう本人が、 自分自身でじれったくなるのではないのかと、 聴いているほうが気を遣うほどゆっくりと間延びした言い方で、 ひとこと言うと小休止するから、 避妊用膣薬 つぎの言葉を待つほうが苛々させられる。
なにを言いたいのか、 なにを頼みに来たのか、 行き遭えば目礼を交わしてきただけの間柄でも、 同じ船に乗り、 同じ汽車に乗り、 同じ農場で生活をともにしてき た日本人同士という親密さはあったから、 できることなら協力する気になっていたが、 早朝から人の家を訪ねてきた用件を、 どうしてこうこうこうだからと、 手っ取り早く言えないものか、 と龍一は内心で苛立ちながらも、 鷹揚に構えて見せる。
萌黄色だった朝の光のほうが、 川田の時間帯よりも間隔が短くて、 避妊薬ピル 商品 どんどん空気の色を変え、 青みを増してくる。そして輝度を上げた光が、 川田の顔の輪郭を徐々に強めて、 陽灼けして濃い褐色になった顔のなかの、 翳りをいっそう濃くする。
龍一も、 三度は問わず、 相手が何かを言うのを、 眼を顰めながら待つ。
「じつは」
やっと言葉を出した川田は、 そこでまた息をつぐ。
「はい」
龍一は自分自身の苛立ちを抑えながら、 川田に弾みをつけさせるように、 相槌を打ってやる。
川田は慌てず、 ゆっくり時間を見計らっているかのように、 深呼吸をして、
「こんなに早く申し訳ありません」
とまた頭を深々と下げながら言う。
安曇では、 韓国 痩身 漢方 小作人や臨時雇いの労務者をおおぜい使っていた地主の息子だったから、 龍一は、 川田のような朴訥で唖者かと思うほど寡黙な男も、 数多く知っていた。
言葉と言葉の間隔が退屈するほど長くても、 地主は、 即ち龍一が観てきた祖父や父は、 うん、 と口をへの字に曲げて、 長煙管を咥え、 相手に合わせて、 ゆっくり煙草の煙を鼻から出して待つものなのを、 なんどもそういう光景に接してきて、 心得ていた。
「いや、 構わんですよ。どうぞお入りになりませんか」
龍一が、 戸口を塞いでいた躰を開くと、 川田は入ってきはしなかったが、 ここに来た用件を引き出されたらしく、
「あのう、 これを」
と手に持っていた、 新聞紙に包んだものを差し出す。
「なんでしょうか」
「本ですが」
「本」
「はい、 鷹彦が、 これを柳子さんにと」
包みは厚くなかったから、 おそらく一冊の本だろうが、 たった一冊の本を、 こんな早朝に叔父に託すのには、 それ相当の理由がなければならないだろう。たとえ 鷹彦の病状が起き上がれないほど悪化してきているといっても、 いまでなければならない理由など、 あるはずはないだろうに、 と惟った。
龍一は、 ある予感に眉を顰めて、
「鷹彦くんが」
と言葉を切って、 川田が応えるのを待つ。
鷹彦は、 ここに入植した当時、 よく本を持ってきて、 「整理していたらこんな本が出てきたから、 お読みになるかと思って」と、 それが柳子になのか、 韓国終極 チヨになのか、 わからない曖昧な態度で差し出したりしていた。
それを見て龍一は、 弟の良三がチヨに本を差し出していたのと同じ光景なのを想い出して、 渋面をつくったものだった。
だから鷹彦が、 柳子に本を貸すことに不審はなかったが、 「なぜ」「いま」なのか、 と常識を逸脱した時間に不審を持ったのだ。
そこで、 ああ、 と龍一は気づく。目的はこ
の本を叔父に託して、 柳子に届けさせることではなく、 ほかにあるはずだ、 と。
龍一は、 一冊の本らしいから、 柳子を呼ぶまでもないだろうと思って、 包んである新聞紙を開く。そして本の表題を見て、 また眉を顰めた。なぜなら、 本の題名が「絶望の逃走」という、 嫌な感じの字が、 薄暗がりのなかで起き上がってきて、 眼に入ったからだった。
龍一が顔を曇らせながら、 本の頁をぱらぱら繰ると、 白い紙片が頁の間から床に落ちた。
龍一は屈んで拾い上げたが、 紙片と思ったのが、 かなり分厚い封筒だった。
柳子にという本だから、 包んであった新聞紙は開いても、 本のあいだに挟んであった封筒を開封して、 中身を引き出すことは憚られ、 それをまた本のあいだに戻す。
戻しながら、 むらむらと嫉妬が湧き出る。アカかぶれしたやつが、 娘にラブレターを寄越したのだ、 と思って。
起き上がれなくなっても、 まだ柳子に言い寄ることを止めない鷹彦の執拗さを、 嫌悪する。
そして嫌悪するみずからを悲しみながら、 龍一は、 なにかおかしいぞ、 と考える。
いくら病状が悪化した気の狂いからだといっても、 こんな時間にラブレターを、 わざわざ叔父に託した、 などと考えるこちらのほうがどうかしているのではないか。これはラブレターではなく、 なにかの急を告げるものではないのだろうか、 あ、 遺書かも、 と。
「柳子、 柳子」
龍一はある予感があって、 奥に向かって大声で呼ぶ。
チヨが、 なにごとかと思って炊事場から出てくると、 そこに川田がいるのを見て驚きながら、
「おはようございます」
と挨拶する。
「おい、 チヨ、 柳子を起こしなさい」
龍一は、 そのときにはもう、 鷹彦になにごとか異変が起こっているのを察した。いよいよ死期がきているのをあの男は感じて、 ラブレターというよりは、 遺書を託けたのではないのだろうか、 と思いはじめていた。
柳子は、 すでに目覚めていた。そしてなんだか人の気配の慌ただしさを感じていた。
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