ふたりだけにしか通じない秘密が、 文章のなかに包み込まれているように思って。
しかし、 病気で自然に死ぬのはどうしようもないけれど、 自殺をするのは卑怯な行為だ、 と柳子は思えて、 なんだか黒々としたものが心のなかに渦巻くのを感じながら、 どうか自殺なんぞではありませんように、 と手を合わせる気持ちで、 封筒の中身に向かって願っていた。
感情は昂ぶっているのに、 鷹彦の死を知らされても、 涙が込み上げてこないのがふしぎだった。
なんだか鷹彦とのあいだで、 未解決なことがありすぎたように思えるし、 自殺なのか、 病気による自然死なのか、 と拘りすぎているからだろうか、 気持ちの整理がつかなくて、 感情が中途半端なところで停滞しているようだった。
チヨひとりが、 声もなく涙を溢れさせていたが、 そのうちに堪えられなくなったのだろう、 炊事場のほうに行って、 鳴咽するのが伝わってくると、 龍一に不快感を与えた。
妻が、 他人でしかない死んだ青年に、 密か
に涙するということに、 嫉妬したのだ。
その嫉妬という感情を、 彼自身は自覚してはいなかったけれど、 気分を害する理由がないのに、 気分を害するのは、 本を通じて情を交えたとしか思えなかったか ら、 儂はふたりの仲を怪しんでいるのだろうか、 いや、 そうではなく、 良三とのあいだに何かがあったと思いつづけてきたことで嫉妬してきたから、 それがチヨ と鷹彦のあいだに捻じ込まれたのだろう、 と自嘲する。
そして、 もう嫉妬を覚える対象のふたりが、 ひとりは遠く隔たり、 ひとりは死んでしまったのだから、 と安堵する。安堵しながら、 どうして儂はひとり相撲を取っているのか、 と苦笑する。
「ほかに、 なにか遺書というようなものは」
他人の家庭のことだけれど、 と龍一は思いながらも、 死ぬ前に娘に手紙を書き残すようなことをしたのだから、 その娘の親として、 少しは立ち入ってもいいだろう、 と思った。
その上、 強壮剤 こうして川田が頼ってきているような感じだったから、 これから鷹彦の死によって起こるはずの、 世間的な諸事万端の世話をしてやらねばならないだろう、 と考えた。
安曇では、 近隣だけではなく、 村中の冠婚葬祭の世話をするのが、 内藤家の仕来りになっていたのだから、 父祖や父から言いつけられて走った経験で、 漢方薬 龍一にとってはそう考えるのが普通のことになっていたのだ。
「いや、 なんにも。枕元に、 この本だけがありましたけん、 持って上がったのですが、 こちらの娘さんに、 手紙を書いておることも存じませんでしたけん」
川田は、 鷹彦の死を病気による自然死であって、 自殺などとは思っていない様子だった。
「亡くなられたのは、 朝方でしょう」
「そうだと思います。俺が寝るときには、 まだ起きていましたけん」
ああ、 やはり自殺に違いない。夜明けに、 みずからの命を絶つものは、 生まれ変わることを拒むからだ。
龍一はそう考え、 そのほうがいい、 媚薬 と心のなかで独断した。
「それで、 あなた、 もう熊野のほうには報せてきたんでしょうな」
こんな調子だと、 ひょっとすると、 まだ熊野のほうに行かずに、 こちらに先に来たのではないだろうか、 と思った龍一が訊ねてみると、 案の定、
「いや、 まだ」
と、 川田はまったく魯鈍だった。
龍一にそれを確かめられても、 ああ、 そうだった、 精力増強剤 と慌てるふうでもなく、 ぼそっ、 とそこに立ったままだから、 まだこちらに用があるのかと思ったが、 こちらへの用よりも、 熊野に報せるのが先だろうと判断して、
「あなたね、 甥御さんが亡くなられたんだから、 こちらに本など届けるのは後にして、 先に熊野に報せなければ」
と忠告してやる。
忠告しながら、 川田の、 考えられないほどの愚鈍さに呆れる思いをする。いや、 この異常なほどの愚昧さは、 ひょっとすると、 甥の急死に動転して、 まごついているのかもしれない、 と龍一は思って、 同情し、 いっそう力を貸してやらなければならないと決心する。
「さあ、 川田さん、 熊野のところに行きましょう、 儂もいっしょに行きますから」
龍一は、 チヨに声を掛けておいて、 川田を促す。
さあ、 と龍一が川田の躰に手を掛けて押し出さなければ、 いつまででもそこに立っていそうなほど鈍重に見えただけではなく、 川田の背を押した龍一の手に、 牛 の尻を押したような、 ずしりとした抵抗感があったから、 どこまで牛のような頑固さと愚鈍さを持った男なんだろうと、 あらためて呆れる。
龍一に背を押されて、 仕方なくといった恰好で梯子段を降りてゆく川田の、 躰の重さに苦痛を覚えるように、 踏み板が軋んだ。
龍一と川田が、 まだすっかり明けきらない朝靄に紛れ込むのを見届けて、 柳子は寝室に戻ろうとして、 炊事場を通り抜けるとき、 母がふたたび炊事場の竈のまえ に、 しゃがみこむ姿が暗鬱に見え、 鷹彦の死が、 そんなにも母を動揺させ、 悲しませるほどの愛惜があったのか、 と思って、 ゆえ知らぬ嫉妬が湧いた。
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