チヨが、 火かきにしている長い火箸が、 彼女の鳴咽を伝えるように、 震えていた。
柳子は、 鷹彦のために泣く母の背を、 複雑な気持ちで見たあと、 声を掛けずに、 ベッドに横たわって、 カンテラの灯を大きくする。
鷹彦が書き残した言葉の数々の重さが、 中華 手の平にずっしりと応えてくる感じがして、 柳子は、 封書を開くのが恐かった。胸がどきどきした。少し指先が震えた。
「親愛なる柳ちゃんに」という書き出しの文
字を見て、 柳子は、 女のように繊細に流れるきれいな文字だと思ったが、 鉛筆のあとが消えるように力のない字だったから、 カンテラの灯に、 手紙をさらに近づけなければならなかった。
「ぼくの死は、 自殺ではない。あくまで病死だ。肺が冒され、 その病原菌が白蟻のように全身を食い滅ぼしてしまったのだ。そのために精神までぼろぼろになっ てしまった。負けたくなかった。死ぬことによって、 永遠なる勝利たらしめたかった。だから養生はしなかった。その点で言えば自殺ということになるかもしれ ない。
最期まで思想的転向はしなかったことに自己満足している。
ぼくは、 ぼくの生命の火が、 もう燃え尽きようとしていることを痛切に感じるから、 柳ちゃんにだけ書き残したかった。だからこれは覚悟の遺言のようだけれど、 絶対に自死ではない」
柳子は、 鷹彦のナルシシズムに満ちた文面を、 そこまで読んで、 ああ、 鷹彦さんは自殺を否定しているけれど、 否定すればするほど、 自殺したのだ、 と確信を持たせるような文面だった。
「そんなことに関係なく、 ぼくが自死をもっとも美しい死に方だと思っていることに変わりはない。しかし、 自死にも、 その方法によって、 事故死のように無惨 な醜悪なものになるから、 いま苦痛もなく、 蝋燭の火が消えるように、 ぼくがこうして静かな心境で眠るように死ねることに、 ある種の安心を得ている」
鷹彦さんが、 どうしてこうも死に方の美醜に拘るのか、 漢方 柳子には理解できなかった。いつも毅然とした姿で立っていたのも、 他人の眼を気にしていたからではな かったのだろうか。もしもそうなら、 あの人はすごく見栄っ張りだったのだろう。でも、 勃起促進剤 いくらなんでも、 死んだあとの自分の姿まで気にするのは、 よほど神経 質すぎることだろう。
「人間の寿命には、 それぞれ長短があって、 短い人は急いですることをしてしまうし、 長い人はゆっくりと一生のことをするらしいから、 寿命の長短はどうとい うこともないのだけれど、 ぼくはあまりにも仕残したことが多すぎたようだった。柳ちゃんには言わなかったが、 ぼくは郷里の山口で、 朝鮮や支那から逃げてく る左翼思想者を官憲の目から匿うのを任務としていたから、 柳ちゃんのお父さんが、 ぼくのことをアカだと言ったのも、 あながち間違ってはいなかったのだ。し かし、 鬼か悪魔か病原菌かのように見られるのは悲しかった。いっそ肺病だから近づくなと言われたほうが、 納得できただろう。学生時代から肺浸潤で、 徴兵検 査も逃れたのだから。
なにはともあれ、 柳ちゃんへの思いは純粋だった。美しい愛を完全たらしめるために心を注いで、 柳ちゃんとのあいだに醜い感情を差し挟むのを極力避けるために努力した」
鷹彦さんはこういうけれど、 ほんとうにそうだったのかしら、 と柳子の心のなかに小さいけれど疑問符が残るのは、 彼が熱い息を吐き掛けるほど接近したとき、 獣の臭いを嗅いだことがあったからだった。
彼がその動物的な欲望を、 観念的なことばで隠蔽せず、 積極的な行動に出てくれたほうが、 わたしは鷹彦さんを人間としてもっと親しめたのではなかっただろうか、 と柳子が思ったのは、 つい最近、 ペドロとキスして得た人間性と照らし合わせたからだった。
積極的な態度に出たペドロのほうが高貴さを崩さず、 消極的だった鷹彦のほうが低俗な賤しさを感じさせたのだから。
「恋していながら、 その純潔を保ち、 その秘密を胸に包んだまま死ぬものは、 興奮剤 殉教者の死を遂げるものである。とすでに古いアラブの伝承としてプラトニック・ ラブは称えられている。恋するということは、 古来から狂気することだから、 医者が調合する薬では治せないという考え方は世界共通のようだ。そういう意味 で、 ぼくがいま自分自身の死とともに柳ちゃんとのプラトニック・ラブをより完全なかたちのまま永遠たらしめ得たことを最高の悦びだと思っている。ぼくは、 ぼくの短い人生の最終地点で柳ちゃんと巡り会え、 そして気持ちを通じ合え、 愛することを得たのだから、 幸せなまま死ねて、 後悔はない。
没有评论:
发表评论