2011年11月27日星期日

虚弱体質 川魚などだが

秋子さんのように、 すべてを運命のせいにするのは悲しすぎる。あまりにも哀れすぎる。人間として生きるのなら、 たとえごり押しにでも、 曲がりなりにも、 勃起不全 自分自身の意思を働かせて選び、 歩みたいものだ、 とも思う。
わたしも父に似て、 ちょっと軽はずみなところはあるけれど、 三叉路に立ってか、 十字路に立ってか知らないけれど、 別れ道に差しかかったとき、 よく考えて、 どの道を選ぶか慎重に足を踏み出さなければならないぞ、 と自分自身の肝に命じる。
出発点は同じでも、 一歩を踏み出すところで道が違えば、 先では大きな開きができてしまうだろうと思うと、 なんだか恐くて、 その一歩が踏み出せなくなる気もするけれど。
そうだ、 移民船の船上で二者択一を迫られた父も、 彼の意思で苦労を背負ったのだから、 娘の立場として、 父の歩む方向について歩くのは当然だったのだ。わたしはまだ父の意思によって動かされる子どもだったのだから。
そう思うと、 こんど父が積極的に動いて、 勃起障害 この農場を出たあとの生活環境を先取りして帰ったのは正しかったのだ、 と思わなければならないだろう。
隣のおじさんは、 そうしたくてもできない経済的事情があったのだけれど、 それはどう考えたらいいのだろうか。運命と考えるべきなのか、 彼の不甲斐なさと思うべきなのか、 とずいぶん考えたけれど、 柳子には答えの出せることではなかった。
わたし自身には、 生まれたときからの幸運があったのは確かなようだ、 と思うことで、 一応の終止符を打つ。
それにしても、 この農場での契約労働を曲がりなりにも終えて。いや、 働いて労賃を貰うのではなく、 臨時雇いの人の労賃をこちらが払い、 その上わたしの仕出かした悪戯の罰金まで払って出るのだから、 ちょっと曲がりすぎだったなあ。
まあいいか、 いまさらくよくよしても後戻りできないのだから、 とにかくここを出て、 自分の自由にできる土地に移り住めるというのは、 大きな幸せには違いな かった。秋子さんらと比べると、 なんとも申し訳ないほどのことだけれど、 そこまで小森家の運命に共同体意識を持つのは行き過ぎ出過ぎというものだろう。
ある一点で線を引かなければならないこともあるのだ。所詮昨日まで他人だったのだという冷めた感情で。
もちろん出発点が違うから、 歩む人生が違ってくるのは仕方のないことだけれど、 ここではじまった生活は、 小森さんも川田さんも竜野さんも中村さんも、 みん 勃起力減退 な同じスタートラインに立ってはじまったのに、 一年経ってゴールに駆け込んだときには、 新移民の家族の様子は、 すっかり違ってしまっていた。
竜野は、 五尺三寸並男という基準からすると、 六尺を越す大男と並みの娘がふたりの三人だけれど、 中村のおとなばかりが五人という最高の家族構成と同じくらいの収穫量を上げたのには、 びっくりしたたい、 と熊野が言っていたが、 頭数だけで比較はできないだろう。
竜野の三人は、 三人とも無学文盲、 猿と同じような生活をしてきたんだと言い、 米の飯を食うのはブラジルに来てから初めてのことだと言い、 日本では、 植物性 は甘藷と樹の実、 動物性は猪、 蛇、 蜥蜴、 虚弱体質 川魚などだが、 それが副食ではなく主食のようなものだった。という樵の生活をしてきた家族なのだ。人間業ではない のがとうぜんだろう。
中村の五人のうちの、 母と息子が農業経験者だといっても、 父と娘は都市生活者というおかしな構成家族なのだ。
小森のところは五人が働いて、 借金を残したというのが、 まっとうな答えだろう。全員が都市生活者で、 家長は農家の出だと言っても、 少年のころから大阪で丁 稚奉公をしてきたというのだから、 農業経験は皆無なのだ。その上、 労働力ではない食べ盛りの子どもが大ぜいいるのだ。なにかが欠けているのではないのだろ うか。どこかに穴があいているに違いない、 と思うのは妥当ではない。
小森茂はその原因を、 大阪人間は食べ道楽だっさかい、 経済的に困ってても、 可能な限りの贅沢しますねん。ほいでだす、 貧乏せんならんのは、 と言っていた。

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