2011年11月23日星期三

不感症 茂男にしてはどちらかというと白すぎた膚も

変な家庭環境をつくって、 人との交際もまともにしない家族構成のなかにいても、 それだけでは人間生きてゆくのにあまりにも淋しすぎるのだろう。なんとか外部との接触をつくりたいし、 同性の友人も欲しいのにちがいない。
そういう同情は持ったけれど、 どうしても須磨子と親しくする気にはなれなかった。ぜったいこんな人とは交際したくないというほどの嫌悪感からではなく、 なんとなく好きになれないという程度の嗜好範囲のことだったが、 それは彼女があまりにも熱心なキリスト教信者だと思う違和感が心の底にあるからだろう。彼女のものの考え方や生き方に、 人に影響を与えたがる、 思い上がった独善性があるのが、 こちらの心の琴線に触れるから反撥してしまうのだ、 と惟う。
「ブラジル語は、 鷹彦さんが教えてくれることになってますから」
柳子が意識して冷淡に振る舞ったのは、 これ以上なんだかだと接近を図ってこられてはいやだと思ったからだった。
「あら、 そうだったの。あの人もスペイン語を勉強してきているのね」
「こちらの新聞が読めるらしいですよ」
「そう、 じゃあ」
須磨子が少しは表情をずらせたけれど、 案外うるさく言わないで、 すたすたと教会への坂道を上っていったから、 柳子はほっとするとともに、 なにかしら彼女の心の底にわだかまっているものが視えるような気がして、 気味悪かった。
須磨子は、 まるで何かに向かって挑戦するかのように、 まっすぐ背を立てて、 一歩一歩ぐいぐいと押し出すような歩き方をする。それが見ているものに畏敬の念を起こさせる。
須磨子が向かって行く方角に、 高台に建っている教会の塔の、 三角錐の屋根の上にある十字架が、 ここからも視えるのだけれど、 視る日によって、 その十字架が白く光ったり金色に輝いたり、 ちがって視えるのは、 その日の天気と視たときの太陽の位置によるのだろう。
いまは白金に光っていて、 じっと視ておれない威圧感を感じさせる。その居丈高な十字架の様子に反撥を覚えたとき、 ああそうか、 キリスト教会が、 須磨子にあんな態度を取らせていたのだ、 と柳子は気づく。
そして、 あの傲慢さに挫けない姿勢をこちらも持ちつづけなければならないと思う。
「若いうちだけだ。相手を恐れず率直にものが言えるのは。歳取ると自分自身を欺いても人と迎合して生きて行かなければならなくなるんだから」
こういうことを言う父を、 柳子はもののわかった人だと思う。ただ、 のうのうと女遊びをしていただけではないのだろう。そういう自堕落だった生活のなかで、 人間関係の機微に触れることもあったのだろう。
まだ十字架は眩い光を放っていたが、 十字架の先端を燃え立たせている太陽の位置がずれてゆくのを、 柳子は意地になって待ちつづける。じっと視線を固定させていると、 太陽のほうが根負けして折れ曲がり、 ゆるゆると揺れながら逃げてゆくから、 勝ち誇った気分になれる。
須磨子がこんなことを知ったら、 「あなたはなんという強情な子なんだろう」と言うだろう、 と思っておかしくなる。
柳子は、 鷹彦とはちがって、 人との交際を煩わしいと思ったことはなかった。須磨子のように、 相手の気持ちを考慮せず、 自己主張ばかりする人は、 こちらの言いたいことを聴いてくれる心の広さがないから、 つまらないと思うから嫌なのだ。
だから、 須磨子の偏った個性に影響されるよりは、 鷹彦の知性に触れていたほうがいいと思う。
そのほかに、 時間のあるかぎりこの農場のなかを散策しているほうが、 いままで知らなかったいろいろなことを知って、 ブラジルにきたことの意味をみつけられる、 と思う。
まだまだ目新しいことが、 その辺りにいっぱいあるのだから。
お母さんが胆を潰すような、 淫猥なことも多いけれど、 と柳子はくすんと笑って、 広大な風景のなかへ溶解して行くときの恍惚感に浸る。

日曜日も祭日もお構いなしに働く日本人たちは、 でき得るかぎり人生を楽しんで生きようとするブラジル人気質には、 特異な人種に見えるらしいが、 自給用の畑を耕し、 種を播き、 野菜を作って、 食生活を豊かにするという意味が、 彼らにも徐々に理解されてきて、 働き蜂とキリギリスのイソップ物語を思い出したのだろうか、 北伯からの内国移民の労働者のなかにも、 避妊薬 日本人を真似て、 余暇に土を耕し、 種を播くものがではじめる。
彼らはキアボといい、 媚薬女性用精力剤 日本人はオクラと呼称するものの種を播くものが多かった。
もうブラジル第一回移民の笠戸丸からおおかた三十年のあいだに、 日本人が農業の神様だという称賛の声はブラジルじゅうに広がっていて、 ここのブラジル人たちも知っていた。
新しくこの農場に入ってきた日本人移民の働きぶりも例外ではなかった。
川田と竜野と中村は、 日本で使っていた鍬や鋤をそのまま持ってきていたし、 内藤も主に養蚕をしていたといっても代々農家で、 チヨなどは家事のほかに、 野菜畑もつくっていたのだから、 性欲欠乏症 小森以外のものは、 みなお手のものなのだ。
いや、 まったくの都市生活者で、 鍬を手にしたことがなかったという小森も、 そう遠くない先祖は河内の百姓だったのだから、 日本人本来の農耕民族の血は受け継いでいる。
その血が伝統的な農作業について、 本家帰りをしたのにちがいなかった。身体的に労働に慣れ、 精神的な動揺もどうやら落ち着いてくると、 地にしっかり足がつき、 腰を据える様子が彼らにも見えてくる。
それはあながち諦めだけではなく、 なんとしてでも頑張ってやらなければ、 たとえ金を残せなくても、 食生活を維持して行けないのだからという必死さが、 意気込みになって、 筋肉に顕われてきているふうだった。
十一月には「ビッコ・ド・バット」といって、 コーヒー樹の畦間に二十五センチほどの深さの切り込みを縦横に通す作業があった。
そうすることによって旧根が切断され、 そこから新しい根が発生して旺盛な地下水の吸収作用を起こすから、 コーヒー樹の葉が一段と濃いみどりになるのだ、 と植物の生態に詳しくないものも、 教えられて納得する。
「まあ、 同じことですね、 盆栽なぞと」
龍一は、 放逸な生活をしているのに、 若いときから盆栽をいじる趣味があって、 親を苦笑させていたから、 コーヒー樹の根切りから連想したのだろう。
十二月に入ると、 その効果が顕われて、 いっそう葉のみどりが目に沁みるようになっていた。
そして、 ぼつぼつ雨季に入って、 まだ小さかったコーヒーの実が、 日毎に膨らんできているのがわかるほどだった。
自然現象の芽吹きや結実は人体にも影響してくるのにちがいなく、 娘たちのこころの華やぎを誘って、 徐々に調子づいてきている作業のなかに、 彼女らの笑い声が弾けたりする。
龍一の黒い口髭が、 それほど目立たなくなるほどに顏が日焼けしてきていたし、 不感症 茂の、 男にしてはどちらかというと白すぎた膚も、 火傷して爛れたように赤褐色になっていた。
「まあまあ、 柳ちゃんもこんがりとケツネ色に焼けはって」
タツからそう言われた柳子が、 タツの言う「ケツネ色」が何色なのかわからなくて、 狐につままれたように怪訝な表情をする。
「お父ちゃ、 ケツネ色ってどんな色なのぉ」
龍一もいっしゅん考えてから、
「ああ、 パンがちょうどいい色に焼けたときの色だろ」
と教える。
「なんだぁ、 狐色のことじゃないのぉ」
柳子が騙されたような気がして言うと、
「おんなじことだすがな」
とタツは、 自身の発音の訛りには気がつかない。
そういうタツの声から、 ついこのあいだまでの刺々しさがなくなっているのに、 チヨは気づいた。
いつも苛々していて、 なにごとにつけても夫に楯突き、 自分一人が女王のように振る舞っていた尖った声の、 角が落ちているばかりではなく、 狐顔の目尻の釣り上がったきつい感じの美人だったのが、 陽に灼けた顔色がそのきつさを和らげてもいた。
「秋子も夏子も、 羽二重餅みたいな肌しとったのに台無しやな」
声に、 台無しという悲哀感は篭もっていなくて、 むしろそれを悦んでいるような、 楽しそうな声に聴こえた。
柳子が観る感じでは、 秋子や夏子の陽灼けした顏は、 台無しというよりも、 ちょうどいい具合に輪郭がついてきたように思える。
むしろそういうタツのほうが、 気の毒なほど陽灼けがつよくて、 せっかくの妖艶さが翳ってしまっている。
太陽は、 美人でも不美人でも、 肥っていても痩せていても、 平等に灼きつけてくる。
それなのに、 人は同等に灼け焦げない。それぞれの肌の色素がちがうからか、 竜野や中村の家族は一様に、 すぐに黒人に近い色になったけれど、 川田の家族はそれほど陽に灼けた感じがなく、 鷹彦などは青白いままのように見えた。まあ強いて言えば、 鼻の頭が赤くなった程度だろうか。
内藤の家族は狐色で、 小森の家族が火傷色という灼け方だった。
いよいよブラジルの夏がまっ盛りになってきて、 大地にあるもののすべてを灼き尽くそうと、 ありったけの太陽熱で焙りつづける。
灼かれた大地は、 その熱を最大限に利用して、 照り返し、 太陽に協力して、 物皆すべてを天火のなかに放りこみ、 消滅させるべく努力する。
それでもまだタツや秋子や夏子の美貌は、 陽灼けなりにその美形を保っていて、 相対的な芸術的均整を崩すことはなかった。
ここの農場の貧しい労働者の女たちのなかにも、 ミケランジェロやダ・ヴィンチが彫刻したように、 見事な姿態を露わにしている。白人女の豊満な乳房。黒人女の隆起した臀部などは、 日本人の男を、 どぎまぎさせ、 油を塗ったような黒人男の筋肉の盛り上がりには、 女たちが魅せられて、 視線の遣り場に困る。
そんな日本人の眼にやさしいのは、 しっくりした美を保っている小森の女たちの、 大和絵の伝統的な美形だった。
子供の時に移民してきて、 そんな日本の伝統を知らなくても、 血にそれを持っているからだろう、 熊野は、 小森の女たちに目移りがして、 足繁く彼女らが働く畑に通ってくる。
ガイジンの女に食傷していて、 秋子らに新鮮な食欲をそそられるからだろうが。黒くなったといっても、 黒人の女たちと比べると、 まだまだ透明な釉薬をかけた有田焼を想わせる秋子らの肌が、 いっそう魅力的だったからに違いなかった。
「まあなんぼ黒うなっても、 アフリカから出稼ぎにきてはる黒い人らよりは、 すこしはましだすがな」
茂が冗談のように言ったことばのどこが気に刺さったのか、 虫の居所が悪かったのだろうか、 いつもはおとなしい秋子が変に引っ掛かって、 本気になって言う。

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