2011年11月27日星期日

インポテンツ の振り方を変更

そんな柳子が、 大きな生活環境の変化に押し流されてブラジルに来て、 あれよあれよと思う間に、 元の農民の子に引き戻され、 鍬を握る生活を強いられ、 不平不 満を口にしながらも日を重ねるうちに、 手の平にできた肉刺が潰れ、 またできた肉刺が潰れして、 とうとう百姓女の手になってしまった、 勃起促進剤 と悲しんだのだけれ ど、 流した汗の量以上に、 苦痛も流れて行くと、 珠玉にも見紛うコーヒーの実を、 この手で?いだのだ、 という感慨が精神を浄化させたのだろうか、 大地に対す る執着が、 いつのまにかできていて、 農村の生活も捨て難いものに思えるようになっていた。
横暴とも思えた父のブラジル行きに徹底抗戦して、 もしもあのまま東京の良三叔父の家に踏みとどまり、 希望通り女子大学の文学部に入って、 さらに望み通り新 聞記者への道を歩んでいたとすれば、 わたしは未来永劫、 興奮剤 ブラジルという国を知らずに畢っただろうし、 鍬を執って草を削ることもせず、 コーヒーの実を?ぐこ ともしないだろうから、 大自然の懐の深さとか、 ブラジルの風景の広大さとか、 自然の不思議ともいえる営みとか、 そういうものを感受することもなかったのだ と思うと、 どうにも抵抗し難い運命というものに流されながら、 無理せずに、 手の届く範囲の環境のなかで、 精いっぱい生きたらいいのではないのか、 と柳子は 思いはじめていた。
足が腫れて歩けなくなったり、 手の皮がめくれて血が噴き出したりしたときの、 悲壮感が消滅して、 自然に同化できる心境になっていたのだ。
それは、 限られた範囲の生活環境のなかだけだけれど、 自然を観察し、 人間を観察して得たものだったが、 十七歳から十八歳というもっとも感受性の高まる時期でもあったし、 いろんな点で、 おとなと子どもの境でもあったから、 柳子をさらに大きく成長させたといえるだろう。
自然の力は、 いくら抵抗しても、 遂には人を諦めさせるほど強大なものなのがわかって、 それを口惜しいと思わずに、 抱かれてゆく従順さを育んだ。
そして、 それがわかると、 父もまた抗し難いなにものかに押し流されて、 彼自身の意思ではなくブラジルに来ることになったのだろう、 とやさしい気持ちになれた。
放蕩の末に信州に居られなくなり、 みずから志願して、 養蚕指導員という肩書きを持ってブラジルに来ることになったのだけれど、 秋子さんの言う「運命」のせ いだとすれば、 父のわがまま勝手な行動を責めても仕様がないのだ、 ペニス増大 と理解できるようになったのが、 柳子にはふしぎに思えた。
父の過去を恕すというのではなく、 人間の男女関係もまた自然のなかで営まれるものなのだ、 ということが、 いろいろな人種が共同生活をしているなかで知り得たものだった。
そんなことを考えると、 秋子さんを諦めさせてきた「運命」というものを、 信じないわけには行かないかなあ、 と柳子も思う。
それはある種の恐怖に通ずる感慨だったが、 柳子を屈服させるものではなかった。認識させるというやさしい押しつけだったのだ。
それにつれて、 柳子は、 人間の生き方には幾通りもの道が用意されていて、 どの道を選ぶかはみずからの意思で決められそうに思えるのだけれど、 そうではな く、 外部からの影響によって歩む道を限定されるような気がする。だから父も、 彼のわがままだけでブラジルに来たのではなく、 そうしなければならなくなった なんらかの運命的なものに押し出される恰好で、 こうなったのではないかと思えるから、 一概に父を責めるのは可哀相にも思ったのだ。
恰好はどうであれ、 いちおう海外へ出向するという誉れを掲げて、 万歳万歳の歓呼の声に送られ、 「島々」の駅を出発し、 軍楽隊の勇ましいメロディーで神戸の 港を出港してきたのだから、 すでにケープタウンを回ったところで、 派遣取り消しの電報が入ったからといって「男子がおめおめと帰れるものか」と父が急遽身 インポテンツ の振り方を変更したのも、 彼の意志のようであって、 実はそうではなく、 そういう運命にあったのだ、 とも思えるところがあった。
母もただ呆然とするばかりで、 抗し難い運命の波に押し流されるのは仕方のないことだ、 と諦めているふうだった。
しかし、 運命というものが、 そういうものなのだと思っても、 そう思ってしまうと、 なんだか人生ってすごくつまらないようにも思えるから、 なにもかも運命のせいにしたくはなかった。

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