2011年11月22日星期二

避妊薬 日を延ばしましたがなし

主婦には、 東京ということばは特別に聴こえるらしかった。眸の色が変わったからそれがわかった。
「都会で暮らしてなはったお人が、 こんなところの生活はたいへんじゃなし」

主婦は同情するような表情になったが、 主人のほうはなんとなく感情のねじれるのが見えた。
「もう、 そりゃ、 たいへんというようなものではありません。超弩級の環境の変化なものですから、 妻や娘からさんざ愚痴をこぼされています」
「あら、 お父ちゃ、 わたしそんなに愚痴なぞこぼしてないわよぉ」
柳子は、 父が世辞として言ったのだとわかっていたが、 甘えた口調で抗議する。
村上夫婦が声をそろえて笑う。
「まあ、 そういう愚痴も一年の辛抱じゃけんね。耳にしっかり栓をしとらにゃおえりゃせんぞなし」
「あら、 おじさん、 そんなこと教えないでください。父は自分勝手なんですから」
「柳ちゃんは、 なかなかしっかりしていて、 お父さんも助かりますぞなし」
「いやあ、 お転婆で手に負えません」
「それくらいでないと、 ブラジルの生活に負けますぞいなし」
そう言うのを聴いていて、 柳子は、 話の外にいる秋子の、 気の弱さを惟う。
「村上さんは、 ブラジルにどのくらい」
「そうじゃな、 十三年かな、 四年かな」
村上が妻の顔を見て、 確かな返事を待つ。
「もう十四年になりますぞなし。こちらで産まれた孫が十人になりますぞなし」
「えっ、 十四年で十人ですか」
「ほほほほほほ、 びっくりなされたぞなし。息子が三人、 娘が四人で末っ子だけが独身ですけん。それぞれが子持ちですけん」
「ああ、 なるほど、 それで」
「今日もみな畑にいって働いてますぞなし」
「お父ちゃ、 村上さんのところの畑はすごいのよ。このコーヒー農場のなかで独立してるみたい」
「コーヒー農場のほうの仕事も、 射精障害 ちゃんとしてるぞなし」
「でも、 どちらが本職なのかわからないくらいなのよ、 お父ちゃ」
「こないだも、 柳ちゃんに手伝ってもらって薩摩芋掘りましたぞなし」
「え、 柳子が手伝ったんですか」
「おばさん、 それ内緒だったのよ」
「あらまあ、 それはそれは」
村上の妻が、 おほほおほほと芋が転げるように笑う。
「家のことは手伝わないのに」
龍一が苦い顔をする。
「お芋が欲しかったのよ」
柳子の正直さに、 みな大笑いする。
「いやいや、 そういえばこの間はおいしい薩摩芋をいただきまして」
そう言いながら、 龍一はあの芋は買ったのだったか、 貰ったものだったのか、 たしかあのとき柳子は、 薩摩芋を買ってきたからと言って、 チヨから金を受け取っていたが、 いまの話では、 芋掘りを手伝って貰ったことになるのだが、 と考えたが、 訊ねるわけにもいかないからそのままにして、 忘れてしまう。
「土地の加減でちょっと甘味はないぞなし、 ブラジルの芋は」
「さあ、 もう一杯やんなはらんかなし」
村上が、 龍一のコップにピンガを注ぎ足そうとする。
龍一は周章てて、
「いえ、 儂はもうこれで充分酔いますから」
とコップに手の平で蓋をしながら言う。
「それでもあなた、 ここはまだ土地がいいほうでしたぞなし。ここに来るまでほうぼう歩きましたなし。ひどいところになるとあなた、 話になんぞなりゃせんぞなし。石ころだらけでエンシャーダの刃がすぐにぼろぼろになりましてなし。そんなところはおえりゃあせんぞなし。ファゼンデイロが威張りくさって、 儂らを奴隷扱いするとこもありましたぞなし。いまよりもっと酷いことが多かったぞなし。みんながもう少しええとこないかと西へ行ったり東に戻ったり、 うろうろ移り歩いておりましたぞなし。まあ近ごろは、 ちいとは事情もようなってきとりますぞなし」
村上も酔いが回ってきたのだろう、 話がくどくなってきたのは。
「みなさん、 ご苦労なされたんですなあ」
「まあ、 それもこれも金のためですぞなし」
「村上さんも、 いつかは日本に錦を飾ってお帰りになられるわけで」
「いや、 無理でしょう。なにせあなた、 こう二世三世が殖えてきますと、 どちらを故郷といえばいいのか。血ぃだけはしっかり守っとりますがなし。儂らの先祖は村上源氏ですけん」
ええっ、 と思わず龍一は酔いが回って、 とろんと垂れ下がってくる瞼を見開く。
村上の話は、 いつどこへ飛んで行くかわからないから、 その対応にたいへんだった。
村上は、 相手の思惑などに関係なく、
「儂らは、 瀬戸内海を荒らし回った海賊の子孫じゃけん」
と胸を張る。その稚戯に等しい虚栄心に嫌味はなく、 微笑ましいものに見えた。
村上の赤ら顔が、 ニスを塗ったように艶々して、 その面構えといい、 肩幅の広い体型といい、 古い絵巻に描かれた古武士の面影を彷彿とさせて、 むかし瀬戸内海を舷叩いて暴れ回ったという海賊の末裔だと言って、 そうだろうと思わせる風貌があった。
旧移民たちが、 新移民たちに向かって話す苦労話は、 たいていの場合、 誇大表現されるのは、 それを自慢にするというだけではなくて、 自慰的行為でもあった。それと同じような意味で、 自身の出生を糊塗する行為も、 矜恃というよりは、 自負に等しい。
ほとんどの移民が、 こちらから訊ねもしないのに、 「うちの先祖は士族でした」と吹聴するのもそういうことで、 「平民」だとか「新平民」だと名乗るものなど一人もいなかった。
ブラジルくんだりまで、 敢然として移民してくる人間は、 戸籍の属性がどうあろうとも、 武士の精神を持ってくるのだから、 そんなことはどうでもいいことなのだけれど、 長い歴史のなかで、 代々虐げられてきた人たちほど見栄を張りたがるのは、 人情として大目に扱えるだろう。笑って聴き流してやればいいのだが、 互いに軽蔑し合ってもいた。彼らそれぞれの祖先が何だろうと、 聴いている側になんの支障もないのに。
龍一も、 そう惟う。村上の出自を詮索するような野暮はしなくてもいいだろう。相手が何様であろうとも、 こちらが傷つくわけでもない。罪のない法螺なら大きいほどおもしろいし、 楽しいではないか。酒の肴としても、 立派なお頭が付いて尾鰭が付いているほうが愉快ではないか、 と。
ちょうど目元がぼっと膨張してくるような酔いを感じていたところだった龍一は、 酔ったふりして、 村上に対抗できるほどの大法螺を吹くことにする。
「儂の先祖も、 村上さんの系図に匹敵するほどの、 非常に古い文献を残しておりましてね。なんでも奈良時代に日本に帰化した朝鮮民族の貴族らしいです」
当時、 日本人のなかで、 みずからの出自を朝鮮だというものなどいなかったのだが、 貴族だということで体裁は保てるのだろう。村上が南洋の土人の血を引いているのは、 その容貌と体型で隠しようもないように、 内藤のほうも朝鮮民族の血を享け継いでいることは否定できない容貌と体系をあからさまに持っていたのだから。
「ああ、 そうかもしれんぞなもし。あんたの体格といい人相といい、 朝鮮人の血が濃い姿ぞなもし」
なんだろう、 お父さんは、 変なこと言い出して。と柳子は心穏やかではなかった。
「まあ日本人の先祖は、 遡って行けば朝鮮、 支那、 それに蒙古か、 南洋の土人ですから」

「儂なんぞは南洋系らしいぞなもし。儂らの先祖はみな瀬戸内海で産湯をつかったちゅうことを、 爺から聴いたぞなし」
村上はいよいよ上機嫌に言う。
「おじさんもお父さんも、 どうせ先祖はイザナギとイザナミなのよ」
柳子が、 二人の男の愚だらない話に割って入る。
おっ、 といった表情を、 二人の男が柳子に注ぐ。
「わたしは女学校でみんな検べてるのよ、 日本人の氏素性は」
こんどは二人の男が、 ほうっ、 と眼を剥いて見る。
「内藤は藤原北家秀郷流の武家で、 宮廷に仕えた舎人だったのよ。政変で長野に追われた一族なんだから、 朝鮮から逃げてきて、 また日本でも逃げて、 逃げるのが得意な先祖なの」
二人の男が、 口をあんぐり開けたまま、 柳子の説に聴き入る。
「村上一族も長野で勢力を張っていた、 千年以上もつづいてきた名門なんだから、 あんがいわたしたちの血は、 どこかで交わっていないとも限らないわ」
ううん、 と二人の男が唸る。
「そうかも知れんぞなし。どうせ日本人は柳ちゃんが言うように、 神代の時代はひとつぞなし」
村上が納得して言う。
そこで龍一は、 血の問題を横に措いて、 茂に向かって口から出任せに言ったことを想いだす。
「儂は養蚕技術者としてブラジルに派遣されてきたんですがね、 避妊 長野は養蚕では日本一を誇っておりまして、 その養蚕技術を長野に導入したのも儂らの先祖だということです。なにせ長野はシルク・ロードの終着駅ですから」
「ほほう、 そういうことがありましたか」
村上は、 はじめて聴く話に感心している。
こういう種類の出任せが、 愉快な法螺として許容されるのかどうか、 と龍一は頭のうしろで懐疑しながら、 まあいいじゃないか、 と投げ遣りな気分にもなっている。強い火酒のせいでぼやけてきている頭のせいにして、 縺れはじめた舌と痺れる快感を舐めている躰全体に責任を転嫁して、 凭れかかった出任せが心地よかった。
柳子も、 父が出任せを言っていると気づいたけれど、 村上さんの言っていることも、 どこからどこまでが本当か嘘かわからないのだから、 まあ見逃していいのではないか、 と思いはじめる。
龍一は、 自分自身が片岡製糸会社から選ばれて、 養蚕指導員として派遣され、 ブラジルに来るようになったのだ、 性欲欠乏 という矜恃をいまだに捨てきれないで、 こだわりを持ちつづけていたから、 それを言いたくて、 長野の養蚕の歴史にまで言及したのだろう。
「言われるとおり、 内藤さんには、 そういう気品が窺えますなし。儂の先祖の村上源氏は」
村上が、 龍一の自負を認めたのは、 自分自身のほうの誇らしさも受け取ってほしいからだった。
しかし、 龍一は、 もういい加減自慢話に飽きてきていたから、 酔いも手伝って、 くどくなりそうな興味のない話を、 ここらで打切りにしようと思って、
「いやいや、 おっしゃるまでもありません。青年のときから歴史が好きだった儂ですから、 村上さんのご先祖のこともよく存じ上げておりますよ。いや儂だけじゃないでしょう。村上水軍の誉れ高い歴史なら、 日本人で知らないものはおりませんよ。そういう敢闘精神を受け継いでおられるから、 こうしてブラジルまで押し出してこられて、 お孫さんを十人も作られる殖民精神を敢行なされておられるんでしょう。敬服しますよ。ご立派なことです。ここで貯えられた有形無形の財産を元手にされて、 近い将来には、 ブラジルで大農場主になられるだろうと想像できます」
歴史などぜんぜん勉強したことのない龍一だったが、 学校の勉強よりもずっとおもしろい講談本で覚えた知識に加えて、 相手に誇りを持たせる彼の雄弁は、 すっかり村上を感激させたようだった。
龍一の思惑どおり、 村上は相好をくずして先祖の話は端折って、 話題を変える。
「おっしゃる通りですなし。ここにきてから運が開けましてなし、 毎年大きな貯えもできるものでなし、 もう少し、 もう少しと、 避妊薬 日を延ばしましたがなし。今年はいよいよ大きな土地を買いましてなし。移って行くつもりにしておりますでなし」
「ほうほう、 やはりそうでしたか。もう錦を飾って日本にはお帰りにならないわけで」
「いや、 儂らは日本には帰りませんぞなし。二世もうじゃうじゃ産まれとることじゃけん、 簡単には帰れませんぞなし。狭い日本じゃけんね、 日本を出るときの三倍にも膨れた家族の住む場所もありゃあせんぞなし」
村上は言ったあと、 腹を揺すって笑った。
「ごもっともです。村上さんの堅実なお考えと実行力には感服しました。それで、 どちらの方面へ」
龍一は、 いいチャンスだと思って、 ここから出て行くときのために、 訊く。
「このリンス周辺には大勢日本人が入っとりますがなし、 儂が長男にいろいろ調べさせましたところでは、 これからうんと発展するのは、 北パラナのロンドリーナちゅうところらしいですぞなし。そこは地味が肥えていてコーヒーでも米でもええちゅうことでなし、 儂らはそこに行くことに決めておりますが、 いまも長男がロンドリーナに出掛けておりますぞなし」
「それはそれは。それはそうと、 この農場で働いていて、 金が残せましたか」
龍一は、 もっとも気になることだし、 村上の話のなかで大きな疑問点でもあることを確かめたいと思って訊く。
「いんや、 普通にしていてはなし、 残りゃあせんぞなし。まあ食うてちょんというところでなし。あのベンダで物買うちょったらなんぼえろう働いてもなし、 賃金より払うほうが嵩んでおえりゃあせんぞなし。儂ら自分で作ったものさ食べて、 ベンダで買うのは塩と燐寸くらいなもんじゃけん。まるまる残しましたぞなし」
「ははあ、 なるほど、 そういうことでしたか。そういうことですと、 儂らのような小家族で自給用の畑で大根植えてるようなことじゃ、 とうてい駄目ですな」
「まあ、 お気の毒じゃが、 そんなものではおえりゃせんぞなし。あんたは日本から金を持ってきとりなさるちゅう話じゃけん。どうしてはじめから土地買うて独立しなさらんかったかとふしぎに思うちょりましたが」
「え、 ええ。まあ。はじめ養蚕技師で二年の任期ということだったもんですから、 こちらで土地を買うなんぞと考えたことがなかったもんで
金を懐にしてきたことなど、 誰から聴いたのだろう、 柳子がそこまで知るはずはないだろう、 いや知っているか、 良三と喧嘩したときに、 あいつが口走ったから。
しかし村上が言うことは、 熊野が流した噂からだろう。
「それでどうしてこの農場に」
「途中で事情が変わりまして、 乗った船で日本に帰ろうかとも考えたんですが、 せっかくここまで来たんだから、 ブラジルを経験して帰ろうかと

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