2011年11月27日星期日

漢方 何とか恰好をつ

みずからが思惟したことばに、 満足して、 それを声にする。
声になって出たことばは、 分解して風に飛ばされ拡散するのではなく、 「いのちの営み」「いのちの営み」「いのちの営み」と、 いくつもの同じことばの複写になって、 農園の上を広がって飛翔してゆく。
そうかあ、 そうだよねえ。すべてが「いのちの営み」なんだあ。
コーヒー樹の枝の節節に芽生える薄緑のふくらみ。それが白い花になり、 雌蘂と雄蘂が結ばれて実になり、 色づき、 落下して、 また芽吹き、 それを毎年繰り返す起死回生。ふしぎな自然の「いのちの営み」。
馬でも牛でも豚でも、 そしてヒトでも。雄と雌が交尾して、 子を産み、 死んで、 という輪廻転生を繰り返しているのだ、 と惟うと、 セックスも「いのちの営み」なんだ。自然な行為なんだ。
どうしてそれを、 ヒトだけが恥ずかしい行為だと思うのだろう。罪なことだと考えるのだろう。
誰と誰がセックスしていても、 互いが求め合ってすることならば、 それは自然の営みなのだ。悪いことであるはずはない。
わたしがさっき、 そうしようと意識せず、 衝動的にペドロとキスしたのも、 自然な行為だったのだ。
あれが、 ブラジルに来ておよそ一年のあいだに観察してきたことの、 媚薬 一つの解答だったのだ。
そう惟うと、 どんどん胸が膨らんできて、 破裂しそうな予感がして、 精力増強剤 思わず胸に手を当てていた。そして掌に受けた感触がいつもと同じ扁平なものだったから、 安心する。
安心したなかで、 ほんとうにペドロはいい青年だなあ、 としみじみ想う。
自分ながらびっくりした衝動でキスしたのだけれど、 それは以前からペドロに好感を持っていたからだし、 黒人とキスしたら、 自分自身の心境にどんな変化が 起こるだろうか、 というこちら側の一方的な好奇心と、 キスしたあとで、 ペドロがどんな態度を取るだろうか。キスしたのだから、 そのあとのこともさせてくれ と言うだろうか。もしもそんなことになったら、 大きな悲鳴を上げて小屋から飛び出すという、 腰が引けるような危険性を伴った冒険心もあったのだ。だからペ ドロが紳士的な態度で終らせたことに、 心のなかでぺろっと舌を出しながら、 感心もし、 称賛の拍手を送ったのだ。
彼はすごく冷静なんだ。その冷静さが信じられないほどだったが、 柳子はうれしかった。
ペドロは無学文盲だ、 と熊野さんは軽蔑して言ったけれど、 それは勉強する環境のなかで生まれなかったからで、 知能指数の問題とは違うのだ。
彼はすごく鋭い知性があるし、 落ち着いた理性があるし、 繊細な感性があるし、 王侯貴族のような気品を備えているし、 生まれた環境さえよかったら、 豚の糞に 塗れるのではなく、 本の虫になっていたかもしれないのだ。そういえば詩人の素質を持っていそうな眼だもの、 と柳子は、 さきほどキスしたあとで、 じっと視線 を絡ませたときの感じを思い出していた。
あれほど長いキスをしながら、 ペドロの息遣いが乱れなかったのを想うと、 鷹彦さんは、 と柳子は、 すっと刷毛で刷くようなキスをして、 心を乱したことを憶い出し、 鷹彦さんには、 知性はあっても、 理性が乏しいのではないだろうか、 と考えてしまう。
あ、 わたしはマイナス思考が嫌いなんだ。鷹彦さんの乱れようは病気のせいなんだ。彼ももとの元気な躰になれば、 また世界を一つにするのが、 ぼくの夢なんだ よ、 と明るい笑顔で言ってくれるだろう。たとえそれが不可能なことであって、 一つの希望を持っているだけで、 人生は楽しいんだから。と彼自身が言った快活 さに戻るだろう、 と性質が陽性な柳子は思い直す。
曲がりなりにも、 そして救援はしてもらったけれど、 それは金銭で片付くことだし、 一応は一年契約の労働条件の、 受け持ち区域のコーヒー採取作業は終えたのだ。
まったく農作業などはじめてするわたしが。そして日本では「総領の甚六」、 中華 「ぐうたら息子」、 「放蕩息子」、 と鼻つまみものだった父が、 母の忍耐力と励ましとによって、 コーヒー収穫の労働に、 漢方 何とか恰好をつけたのだ。
父にもわたしにも、 そして母にも、 ブラジルに来た意味はあったのだ。
そう想うと、 周囲の風景が、 いっそう広がり、 明るさを増し、 ただ荒涼としたものではなく、 遥かな眺望の、 視界から食み出して、 未来につながっている彼方へ、 希望を伸ばしてゆくことができた。
そして、 その広大さは、 小さな柳子を侮り、 弾き出し、 日本へ帰って行けと軽蔑するのではなく、 よう来たな、 頑張れよ、 と自然の懐にぐいぐい惹き込んでくれる、 豊かな慈愛に思えるものだった。
信州の農家で産声を上げた農民の子が、 幼いときから東京の水に慣れてしまって、 鍬を手にすることを、 もっとも下賎なもののすることだと思い、 恥ずかしいことだと考えるようになっていたのだ。

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