「ああ、 やっぱりあんたらは物見遊山に来られたぞなし。まあそれにしても、 こんなところに迷い込んで来られたらおえんぞなし」
「いえ、 それは、 ブラジルに移民してくる人たちの生活の実態を知るには、 自分も同じ体験をしなくてはと」
龍一は、 しどろもどろに苦しい弁解をする。
「ああ、 なるほどそういうことでなし。裕福なご子息の、 ちょっと変わった外国見物ちゅうことでなし」
村上の皮肉とも取れる指摘に、 少ししどろもどろになった龍一だったが、 うまく自分自身の行動の無頼を糊塗できて、 ほっとする。
村上が、 こちらを皮肉ったり侮ったりするのではなく、 金の有無で人間の価値判断をする種類の人物らしいのがわかって、 それを否定することもなかろう、 と龍一は訂正しないでおく。
村上は、 龍一が思ったことに認定証を渡すように言う。
「いや、 結構なご身分でお羨ましいことでなし。金はなによりも人間を豊かにしますでなし。とくにこういう外国で暮らすには、 金だけがなによりの頼りじゃけえの。金のないのは頭のないのとちっともちがわんですら。ベンダの親爺の悪どい商売も、 ここじゃあんた、 当たり前のことですら。儲けられるときにうんとこさ儲けておけちゅうのが、 ガイジンの遣り方じゃけん。商業道徳なんぞと、 コンドーム ええ恰好言うのは日本人だけですら」
村上のくだくだ言うのが、 いつまでつづくことやらと、 龍一がうんざりしかけたとき、
「だから、 おじさん。ガイジンは、 日曜日ごとに教会に行くらしいですよ」
と柳子が、 高い調子の声で口を挟む。
村上と龍一が、 柳子の言う意味をすっと呑み込めなくて、 顏を見合わせる。
「人間は罪深いものだから、 六日のうちに犯した罪を、 七日目に赦しを乞うために教会にお参りに行くんだって、 須磨子さんが言ってました」
「須磨子さんちゅうのは、 どこのお方でなし」
「ああ、 儂らといっしょに来た人ですが、 クリスチャンでして」
「そうでなし。こんどの移民さんは学がおありの人が多いと聴いとりましたが、 クリスチャンという方もおられましたか」
柳子がくすくす笑う。
「儂ら小学校しか出とらんけん、 あんたさんのように学のありなさるお人に教えるようなこと何もありゃあせんがなし、 なんちゅうてもブラジルじゃけん、 日本から来られたばっかしのお人には、 わからんこともおありじゃと思うけんね」
「いやいや滅相もございません。儂ら新移民は盲で聾同然ですから、 旧いお方から手を引いて教えてもらわなくては、 ひとり歩きはできません。話は変わりますが、 正月用に頒けていただけるものがあればと思いましてお伺いしましたんですが」
長い長い前置きが、 やっと本来の目的に辿りついた、 と思って柳子は、 尻をもぞもぞさせる。
「ああ、 なんなりと言うてつかあさい」
「餅とかおせち料理を作る材料とか、 そういうものがあれば、 と」
「ああ、 今年は餅を余分に搗きましたけん、 欲しいだけ持っていってもらえるぞなし。嬶に言うて、 そこらにあるもん持っていってやらんね」
村上は、 経済的にも、 教養の面でも、 格が違うと思っていた龍一が、 謙虚に下手に出ていたので機嫌がよかったし、 コンドーム 柳子が村上一族は千年つづいてきた名門だと言ったので、 気を良くしていたのだ。
「無理を言うて済みませんな」
「なあに遠慮なさるこた、 ちっともありゃあせんぞなし、 只で差し上げるわけじゃありませんけん」
ううん、 さすがに金を残す人はちがう。好意は好意として、 銭金の計算とは混同しないというけじめを、 はっきりつけているのだ、 内藤家も先祖代々そういう心掛けで来たから富農に成れたのだろう、 と龍一は思いながらも、 彼自身には、 そういう切実剛健な思想はなく、 小森や、 ほかのいっしょにきた家族にも、 少しづつでも餅を施してやろうと考えた。
以前から柳子が、 この家族から好意を持って迎えられていたうえに、 龍一の人当たりのよさが老夫婦に好感を与えて、 なんとかならないかと思案投げ首していたことが、 間近なところで、 すべて間に合った。
鶏を一羽。鶏卵を一箱。餅と大根や人参や牛蒡や、 生姜に、 ほうれん草などの野菜に加えて、 リンスで仕入れてきたという乾し雑魚、 避妊薬 そして味噌や醤油に味の素まで頒けてもらった。
「ああ、 そうそう柳ちゃん、 お母さんに巻き鮨作ってもらうとええぞなし」
村上の老婦人が気づいて、 浅草海苔を一束と干瓢まで出してくれた。
柳子も嬉々として、 父娘ふたりでは持ちきれない荷を、 ミモザの背に乗せる。
「ええ馬ぞなし」
村上の厚意を謝して、 帰る道すがら、
「ねぇ、 お父ちゃ、 海賊を退治して分捕った宝物みたいねぇ」
と言う柳子のことばは、 村上が海賊の子孫だと誇りにしたことからの連想だろうが、 実感が篭もっているよ、 と龍一は感心する。
チヨの愁眉は、 いっしゅんに開いて、 眼の奥のほうから、 みるみる明るさが滲み出てくる。
「さあ、 すぐ用意にかかるかなん」
そういう声にもいっそう艶がでた。
あとはチヨの独断場で、 任しておくほうがいいのだとわかっているから、 龍一も柳子も口出しも手出しもしない。
「柳子、 餅を家族の頭割りにしてお裾分けしてこい」
龍一がそう言うのに、 ちょっとばかりひっかかるものがあったけれど、 今日は特別の日だから私情をまじえずに、 顏に感情を顕わにせず配って歩こう、 と柳子は心に決める。
一列に並んでいる労務者小屋の、 向こうの端の中村から、 竜野、 川田と、 餅を配って歩くと、 みなが一様に、 狐に摘まれたような顔をしたのが、 柳子には愉快だった。
「おお、 神様」
須磨子が餅を捧げて天を仰ぐ恰好をしたから、
「これは天の神さまからではなくて、 村上さんの御厚意なんですよ」
と皮肉を言いたいのを、 柳子は我慢して、 にっと笑うだけにしたし、
「誰がくれたの」
と文子が言ったから、
「わたしが買ってきたものよ」
とだけ、 出所をはっきりさせておいて、 引き下がった。
「柳ちゃん、 すごい正月ができるよ。ありがとう」
鷹彦が心からうれしそうにしたのが、 柳子には、 いちばんうれしかった。
そのうえ、 川田尋彦と常子夫婦もこれ以上はないといった笑顔で、 なんどもなんども頭を下げたのが気持ちよかった。
小森の家族は言うにや及ぶで、 鍋や釜やバケツやらを一度に引っ繰り返したような騒ぎ方で、 よろこびを最大限に表現した。
一九三八年の初日の出を拝んだのは、 小森茂と川田夫婦とチヨだけだった。
あとはすっかり明るくなるまで、 誰もベッドから出てこなかった。昨夜おそくまで起きていて、
「初日の出拝もうねぇ」
と言っていた秋子も夏子も、 起きてこなかったし、 久しぶりに朝寝をしようと、 はじめから考えていた柳子は、 周囲が騒がしくなるまで寝ていた。
「明けまして、 おめでとうございます」
「どうぞ本年もよろしくお願いいたします」
チヨやタツや茂や龍一や秋子や夏子やらの声が入り乱れて、 うおんうおんという一つの音になって響いてきて、 柳子はやっと正月の朝が明けたのだ、 コンドーム と周章てたほどだった。
「さあ小森さん、 全員で正月を祝いましょう。儂の家のほうに集まってもらって」
龍一が誘って、
「へえ結構なことだす。こんなとこでも正月祝えるやなんて、 思うてもいまへんでした」
感激家の茂は、 口数の多い普段とちがって唇を震わせるほど、 感情を昂ぶらせていた。
「みんな玄関から入ってねぇ」
いつもは出入りのしやすい勝手口から行き来していたから、 柳子がそう言って、 小森の家族を玄関から迎え入れる。
縁起を担いだわけではなかった。柳子が昨夜のうちに飾り付けておいた正月飾りを見てもらいたかったのだ。
「ほう、 さすが柳ちゃんだすな、 アイデアがよろしおます。感心しました」
茂が人形芝居の人形の仕草を真似て、 大仰に賞讃したのは、 柳子がジョアキンのところから調達してきたバナナの太い茎を斜に切って、 竹らしくみせ、 それにバナナの大きな葉をあしらって作った門飾りだった。
そして、 小森の家族は、 内藤の炊事場兼食堂に招じ入れられて、 その感激が極点に達した。
「夢見てるみたいぃ」
秋子が目蓋をしばしばさせ、
「ここは信太の森やおまへんやろな」
と茂は大げさに手探りして歩く恰好をする。
ちゃんと父の仕草とことばを呑み込んでいる息子の春雄が、 さっそく眉に唾つける真似をする。
「いや間違いなくブラジルのコーヒー農場のなかですよ。さあ、 ブラジルで最初の正月を祝いましょうや」
龍一はみずからの優越感を抑えるのに苦労するほど気持ちが愉快だったから、 いつになく、 茂の冗談に口を合わせる。
なによりも雑煮を食べられることがうれしかった。これさえあれば、 ほとんど正月ができたことになると思うのは誰しもだった。
「日本酒だけは手に入らなかったのでね、 ピンガ酒でがまんしてください」
「滅相もおまへん。ピンガ酒であろうとなんやろうと、 こんな立派な盃で飲めば甘露に化けます」
茂が言うように、 龍一が日本から持ってきていた豪華な輪島の大盃に、 ピンガ酒をなみなみと注ぎ満たすと、 屠蘇の気分はする。
まだ小さい如月や季夫の前にまで小さい盃を置いて、 チヨがぽとぽと滴を落とすようにピンガ酒を注いで回る。
ふたりのこどもは、 ちょっと照れ臭そうな顏になって、 はにかんで笑う。
「季夫、 酔うてしまいよるで」
春雄がからかう。
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