「宗教なんてどれもみな凶々しいもんだけどキリスト教ほど凶々しいものはないね」
良三が、 柳子に教えたことは大雑把だが、 徹底的に異教を誹謗するものだった。
「エジプトの奴隷だったユダヤ人が、 イスラエルへ向かって大移動するなかで、 集団行動の倫理としてつくられたものだから、 当時の状況のなかでは実際に必要な規律だったんだろうけど、 コンドーム 迫害されつづけてきた血みどろの歴史のなかで、 歪つな復讐心に練り固められてできた新約聖書は、 異教徒と戦って勝つことを至上とする神の意志として受け継がれてきたものだから、 非常に独善的で排他性に富んでいてね、 そういう点では日蓮と似ているよ。西洋人はなんでも合理的にものごとを考えるというけれど、 キリスト誕生なんぞ、 不合理の見本のようなもので、 あの嘘八百の処女懐胎を千年以上むかしの無知な民衆ならいざしらず、 二十世紀の現代人がありがたがってるなんぞは呆れるだけさ。日本神話のおのごろ島のほうが、 よっぽど合理的な自然の摂理にかなった話だよ」
「おのごろ島ってどこにあるのぉ」
「神話のなかの島だよ。イザナギがイザナミとまぐわって矛の先から滴り落ちた潮が凝結してできた島というのは、 人間誕生の比喩としてつくられた話だから、 よほど理に叶ったものなんだよ。マリアの不義密通を糊塗するためにつくられた処女懐胎より、 うんと説話として筋が通っているし、 詩的だよね」
「ふうん、 日本人て昔から知的だったんですねぇ」
結局は民族主義の自画自賛になっておわったのだけれど、 あのとき、 良三叔父が、 まだ十五歳だった柳子に、
「人間も動物の一種だから、 性行為によってしか子を生まないんだよ。天皇陛下でも変わりはないんだ」
と教えはじめたものだから、 雅子叔母からすごく睨まれて、 頭を掻きながら話すのを止めたのを懐い出して、 柳子はひとりで思い出し笑いをした。
龍一も、 須磨子にはああ言ったけれど、 善光寺などに参ったことは一度もなかった。神仏を信心する気持ちなど持ったことはなかったし、 宗教が日常生活のなかで必要になるのは、 おおかたの日本人と同じで、 冠婚葬祭の儀式に神主か坊主を招くのを宗教的なものとは思わず、 生活に形をつけるだけのものと思ってきただけだった。
神といえば、 それは天皇陛下のことで、 それは常に考えているわけではなかったが、 日本人として当然そこに帰結してゆく無意識な精神があって、 疑問を持ったり詮索できない絶対的な存在だから、 コンドーム なぜ日本人が西洋の神を信仰するようになるのか、 とふしぎに思えるくらいだった。西洋の視えない神よりも、 日本の現人神のほうが信用できるはずなのに、
「神はこの世にただお一人、 キリスト様だけです」というのは、 万系一系の天皇と拮抗する不敬罪に相当するのではないのか。アカに等しい思想的反逆罪だ、 と龍一は思うくらいだった。
「あの女は危険思想を持っているから、 あまり付き合わんほうがいいぞ。川田鷹彦という男もそうだが、 一定の宗教や思想に凝ると、 視える範囲が狭くなって、 世の中のことを平均的に観られなくなるから、 偏屈な人間になるんだ。あいつらは非国民だ。そのうち自分の姿勢も歪むだけでなく、 罰が当たるさ」
龍一は、 自分自身が天皇教の無意識な狂信者になっていることには気づいていないで、 避妊薬 鷹彦と須磨子を悪し様に言う。
宗教や思想に関心がなく、 とくに天皇陛下を敬う心を強く持っていない柳子は、 父の言うことに賛成もしないし、 コンドーム べつに反対する理由もなかったから、 聞き流していたが、 あれほどあからさまに宗教の勧誘にきて断られたことを、 それほど気にしていないらしい須摩子には、 柳子も感心した。あれはキリスト教の博愛精神というものなのかなあ、 と。
なぜそう思ったかというと、 あれから幾日も経たないうちに、 案外に平気な顔をして、
「わたしが勉強してきたスペイン語は、 ポルトガル語と同じブラジル語に共通することばだから、 あなたに教えて上げます」
と、 こんどは語学を介して柳子に接近することを図ってきたから、 柳子のほうが呆気に取られたのだ。
どうもこの人は、 なぜかしら非常にわたしへの関心を持っていて、 宗教や語学などは、 わたしに接近するための口実であるみたいだ、 と柳子は惟う。
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