深川定雄と好一対の、 議論好きな男が桧垣寛治だった。
彼はサンパウロ近郊で野菜作りをしていて、 いつも出来のいい野菜を露天商に卸すので人気があったのだが、 そ
の人気を一人占めにしているのは、 彼が露店商人のところに出向いて、 その野菜が如何に精魂込めて作られるか
を、 得々として喋るからで、 家庭の内情を知らない露店商人たちは、 桧垣寛治がその野菜を一人で作っているよ
うに錯覚するのだが、 実際にはそうではなく、 野菜農場を管理して大奮迅に働いているのは妻の初枝と、 父と対 ペニス増大
照的に無口な長男の寛一が、 ガイジン労働者を上手に使ってきたからだった。
桧垣寛治自身は、 政治や社会の動静に強い関心があって、 家業をそっち除けに誰彼なく議論を吹っかけて回る
ので、 近くの農民たちからは煩がられていたのだ。
彼が、 その長身痩躯のどこにそれほどの熱い血を蓄えているのか、 とふしぎがられるほど熱弁を振るうのは、 インポテンツ
幕末の勤皇の志士や、 明治政府の偉大な政治家の話で、 その根底にあるのが、 明治憲法と軍人勅諭と教育勅語と
、 日支戦争が勃発したあと強力に推し進められていた皇国史観と軍国主義だったから、 大戦末期から戦後にかけ
て、 日本の戦勝に懐疑的な言辞を口にするものが居ると、 掴みかからんばかりに罵倒してきた。
痩せていて力はなさそうだったが、 何しろたいていの男は、 首が痛くなるほど見上げなければならない長身だ
ったから、 その長身を利用して頭の上に被さってくる彼の気迫には辟易し、 萎縮し、 閉口し、 すごすご退散する
しかなかったのだろう。
もちろん退散する理由の大半は、 桧垣の気迫に押し捲られることもあったが、 天皇陛下様を後ろ盾にしている
からで、 彼の言うことに反論すると、 惟っても居ない天皇批判になってしまうからだった。
桧垣寛治はそういう男だったから、 吉賀谷義雄の、 大東亜共栄圏建設の一翼を担う南洋開拓再移住論を耳にす
ると、 瞬時の躊躇もなく桜組挺身隊に参加したのだ。
そして、 彼の熱弁には、 農民たちだけではなく、 挺身隊幹部の吉賀谷をはじめ、 林、 戸田、 深川らが一目置く
ほど先鋭的に議論を吹っかけてくるから、 吉賀谷でもうれしい悲鳴を上げたほどだった。
桧垣寛治の熱弁には誰もが辟易したが、 深川の陰気さがなく、 悪気のない、 気性のスカッとしたところがあっ
たから、 勃起不全 彼を悪し様に言うものは居なかった。
桜組挺身隊に入隊してきたものが皆、 吉賀谷が言うことを信じて、 勃起障害 天皇陛下に忠誠を誓わんとして南洋開拓に
滅私奉公しようという熱烈な愛国心を持っていたのではなかった。
花城清源のように、 まったくの打算から入隊してきたものも居た。
清源はすでに七十歳になる老齢年金生活者だったし、 息子たちもそれぞれ一家を成していて、 生活もゆったり
していたのだが、 生活困窮者のような顔をして、 日本政府差し回しの帰還船で、 日本へ無銭旅行をしようと考え
ていたのだ。
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