2011年12月5日星期一

インポテンツ 霊魂になって

お父ちゃが、 ちょっと嫌らしい意味で、 桃色に染まってきとる、 と言ったように、 わたしはたしかに鷹彦さんと交際する以前と以後では、 何かにつけて物の見方考え方が変わってきたのはほんとうだ、 と柳子は、 自分自身を客観的に見てそう思った。
だけど、 それがどうしていけないことなのか。世間の人に迷惑をかけるわけでもないし、 罪を犯すわけでもないし、 わたし個人のことであって、 他人に影響を与 えるほどの力などないのだから、 何を考え、 どういう行動をとっても、 他人からなんだかだ言われることではないではないか、 と思うのだ。
ブラジルに来て知ったことだったが、 日本人は物の考え方が一面的で、 まじめすぎて、 何事でも黒白をはっきりさせなければ気持ちの落着かないところがあるようにみえる。
そのくせ、 はっきりさせなくてはならない場面に追いつめられると、 あいまいな態度を取って、 自己を放棄し、 権威に阿るところがあるようだった。付和雷同と いうのだろうか、 常識という体制にみずからを溶け込ませ、 自己の存在を消してしまうのだ。と鷹彦さんは言ったけれど、 だからこそ無難に生きてゆけるらしい のだけれど。
そう言えば、 熊野は日本人的ではないところがある、 勃起促進剤 と柳子は気づいていた。
まだ赤ん坊のときにブラジルに連れてこられて、 日本を知らないというけれど、 彼は日本の風土を知らないだけではなくて、 日本人の心も知らないのではないのだろうか、 と思うことがしばしばあった。
普通、 日本人なら「させてもらいましょう」と謙遜して言う場合に、 彼は「してあげましょう」と恩着せがましく言って、 そういう態度を反省するところがなかった。いや、 反省しなければならないことだと思っていないのだろう。ここのガイジンもみんなそうらしいから。
そして、 興奮剤 何かをするときには、 しただけの見返りがなくてはならないと考える合理性を、 自然に身に備えているらしい。まあ、 それを言うのなら、 タツおばさんにもあることだけれど。だからふたりは気が合うのかしら。
タツおばさんも熊野さんも、 日本人の良識から観ると、 まじめとは言えない。まじめではないからこの荒涼殺伐としたブラジルで生きてゆけるのかも知れない。鷹彦さんのように、 なんでも物事を突き詰めて考えると、 自分自身が追いつめられることになるのではないだろうか。
それでも、 あの人にはあの人なりの生き方があったのだ、 と思う。あの人が言うように、 短い人生だったけれど、 わたしとめぐり会えて、 自分の思想の一端でも、 わたしの心の奥底に遺して逝ったんだから。
あ、 そんな抽象的なものだけではなかった。すっと刷いて通ったようなキスだったけれど、 あの感触は、 強く押しつけてきたペドロのキスと同じくらいの印象 で、 わたしの唇の感覚として永久に残るだろうし、 もしも噂通りだとすれば、 文子さんの体内深く、 あの人は自分の胤を植え付けて逝ったのだから、 彼の執拗な 生への執着が、 宿り木のように生き残っていると言えるのではないのか。
それが文子さんの体内で育まれ成長し、 この世に生を得たとすれば、 死んだことにはならないのではないのか。それが仏教でいう輪廻回生というもので、 ペニス増大 わたしに残した精神的なものだけではなく、 肉体的に生きつづけるのではないだろうか。
鷹彦さんは、 インポテンツ 霊魂になって、 わたしと共に生きつづけるというだけではなく、 文子さんが生んだ子として、 ほんとうに生まれ変わって、 文子さんの子が子を産み、 文子さんの孫が子を産みというようにつづいていけば、 形のあるものとして永遠に生きつづけることになるのだ。
そう思うと、 あの雌豚が十二の仔豚を産んだように、 文子さんにも元気な子を産んで欲しいと好意的に惟う。あのいつも元気溌剌だった文子さんなら、 きっと丈 夫な子を産むだろう。鷹彦さんのようなひ弱な人間にはならないだろう、 と柳子自身に元気がついたように、 顔を赤らめて惟う

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