秋子と抱き合ったときの、 彼女の躰の火照り、 あの柔らかさ、 香水などつけていないだろうのに香ってくる秋子の体臭の芳醇さ、 女のわたしがいつまでも抱きしめていたいと思うほどだったから、 男ならよけい離れがたく思うだろう、 と惟ったところで、 はっと気づいたのだ。
女同士が抱き合ってこんな気持ちになるということは、 愛を感じていることだろう。そしてその愛は、 ただ人間的な感情からだけではなく、 動物的な性愛から起こるものではないのだろうか。だとすれば、 それを同性愛だと言って間違いはないのだろう。
ああ、 そうかあ、 そうだったのか。わたしは男性とセックスなんぞしたくない、 子なんぞ産みたくないと思っているけれど、 それは異性愛を不潔なものと思う反 面で、 同性愛を清らかなものと心の底で思っているからではないだろうか、 と自分自身の心の在り方を観察し、 究明したくなっていた。
しかし、 具体的に解明できない感情をどういうふうに観察し、 検索し、 文章化できるのだろうか、 その方法はわからなかった。
柳子は、 鷹彦の墓にも別れを告げに行く。
無縁墓地と深い森の境で、 今日も黄緑のペ
リキットが、 鎮魂の曲を囀っているだろうかと思いながら、 ミモザの背に揺られてきてみると、 思ったとおり、 にぎやかな声で歌っていた。
それが、 柳子の姿を見て、 いっそう高くなったような感じがした。
ミモザが、 たじろぐように足踏みした。ペリキットの鳴き声に怖れたとは思えなかった。冥界に踏み込むような躊躇だったのかも知れない、 と柳子は惟った。
すごく神経質な馬だったから。
この無縁墓地のなかで、 いちばん新しい鷹彦の卒塔婆は、 周囲の粗末な十字架たちより一際目立っていて、 龍一が書いた墨痕鮮やかな字が、 まだ墨汁が滴りそうに、 光沢を放っていた。
柳子の眼に、 鷹彦の姿が見えたのもそのためだったかもしれない。
ブラジルに来て最初の一年、 試行錯誤の生活のなかで、 物の考え方、 観方、 外部からの何らかの圧迫に対する精神的な処し方など、 父や母よりも、 人生とはなん ぞやを、 具体的に教えてくれたのが川田鷹彦なのだから、 わたしの兄さんのような存在だったと、 はじめて身近にした異性に対する性的な親密感ではない、 肉親 のような遠慮のない親しさを覚えた男性だったのだ。
彼はプラトニック・ラブだからといい、 崇拝する女神のような存在だからと、 そういう気持ちで軽くキスしたけれど、 わたしはそれに対して、 少しも変な感情は湧かなかった、 と柳子は想い返す。
「柳ちゃん、 柳ちゃんだけはいつまでも、 コーヒーの花の白さに負けない純白さを持ちつづけてほしい」と言った鷹彦が、 柳子を穢れのない純粋なものとして敬 媚薬 愛した気持ちを素直に受けて、 これからも純白な心でこの世の中のものを観、 混じりけのない心で判断してゆきたいと、 卒塔婆に向かって手を合わせながら、 決 意を新たにする柳子だった。
そうしていると、 ふしぎなことに、 鷹彦の遺骸が埋められている土の底から、 足の裏を伝わってくる暖かいもののあるのを感じる。それがふつふつとして体内を駆け巡る血のなかに混ざり合う感覚があった。
ああ、 いま、 わたしは鷹彦さんと肌身を接しているのだ。そして肌から肌に血の交流があるのを感覚した。そうだわ、 この血は真っ赤なのよ。もともと赤いもの なのよ。鷹彦さんのアカい思想に染まらなくても。と柳子は、 鷹彦を除け者にして受け入れようとしなかった日本人の心の狭さに向かって、 昂然とした気持ちを 立ち上がらせる。
可哀相に鷹彦さんは、 アカだと言われることを極度に恐れて、 ぼくはアカなんかじゃないよ、 強いて言えば白だよ、 戦争反対の絶対的な平和主義者なのだから、 と言っていたのだけれど、 彼自身が言っていたように、 日本では、 精力増強剤 そういう平和主義者でも、 軍国日本の体制に反抗するものとして、 一斉検挙をしているという ことだった。
それは権力者として都合の悪いことだからだろうが、 なにも都合の悪くない一般庶民までが、 わけもわからず迎合して、 なんでもかんでも常識としていることに反対するものをひっくるめて、 アカ呼ばわりすることに、 柳子は嫌悪を感じた。
東京の叔父や叔母が主義者ではなく進歩的な考え方を口にするだけなのに、 父は「あいつらはアカだ」と言っていたし、 平和主義者の鷹彦さんを、 「あんな男と付き合ってたら、 アカく染まるぞ」と言っていたのだ。
隣のタツおばさんは、 「あんな青白い青年は、 実生活の役に立ちまへんえ」と言ったのだから、 ほんとうのところはどうなのか、 鷹彦さんはアカいのか、 青白いのか、 見る人それぞれで、 一人の人間の色が違うということがあっていいのか、 と抗議したくなる。
柳子は、 共産主義というものがどういうものなのか知らなかったし、 平和主義など観念的でぜったい不可能なことを念仏のように唱えているだけだ、 と言う父の 言い分のほうが正しいように思うけれど、 他人が何と言おうと、 そんなことを無視して、 鷹彦さんと交際してきたわたしは、 赤くも青くも染まっていないじゃな いの、 心はいつまでも彼が欲したように白いままだわ、 と思う。
これから先、 まだまだ長い人生のなかで、 中華 いろいろな人と接触して、 いろいろな思想に触れるだろうけれど、 わたしは誰からも染められることなどないと思う。 染められてはならないと考える。なぜなら、 新聞記者という職業柄、 どんな色にも染まってはならないのだと思うからだった。いつも中立で正しい判断をして、 世の中のことを報道しなければならないのだから、 と柳子は、 まだほんとうに
人間社会の厳しさ、 汚さ、 愚かしさに接して挫折感を味わったことのない甘さで、 その純粋性を保ち得るのだと考えるのだった。
唯一自覚していることは、 わたしは普通の娘ではない、 小さいときから「この子は変わっている」と言われてきたことで、 常軌を逸した行動をできるエネルギーが備わっていて、 普通の人にはできないことが、 わたしにはできそうだ、 と思っていた。
だから世の中のいろいろな色に染められるとしても、 赤とか青とかそんな単純な色ではなくて、 複雑怪奇な、 そして抽象的な、 豪華な色合いになるのではないだ ろうか。まあどちらにしても、 鷹彦さんが望むように、 純白なままでいることは難しいだろう。もうすでに、 わたしは鷹彦さんの色が少し混じって、 漢方 純白とは言 えないのだから。
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